売買担当松倉の【東京、土地の記憶遺産♯5】
【 中央区・小伝馬町 】
幕府要人の旅や物資などの運送を取り仕切る“伝馬役”の住居があったことから
「日本橋大伝馬町・小伝馬町」と呼ばれました。
そもそも“伝馬役”の居住区は、江戸城内にありましたが、606年(慶長11)に、
この地に移転してきました。現在も町名としてその名を残す「日本橋大伝馬町・
小伝馬町」は、400年以上もの歴史を持つ江戸最古の町名の一つとされています。
( 豆知識 )
・吉田松陰終焉の地・伝馬町牢屋敷
慶長年間(1596年~1615年)、江戸城内にあった牢屋敷が小伝馬町一丁目の
地に移転。2500坪を越す広大な土地に建てられました。「伝馬町牢屋敷」は、
周囲を高い塀で囲み、大勢の看守を配置するなど厳戒態勢が敷かれました。
武士や商人、農民、僧侶など、身分別に囚人を収監したこの牢屋敷は、江戸
幕府最大のものであり、700人近くの囚人を収容することができたとされています。
幕末の大老・井伊直弼が、いわゆる尊王攘夷派を弾圧した「安政の大獄」
(1858年)において処刑された吉田松陰もここに投獄されました。現在
「伝馬町牢屋敷」跡地にある「十思公園」には、「吉田松陰終焉の地碑」が
建っており、その碑には、獄中で松陰が門弟たちに遺した辞世が刻まれています。
「伝馬町牢屋敷」は、1875年(明治8)市谷囚獄署が稼働を開始するまで存在しました。