売買担当松倉の【東京、土地の記憶遺産♯2】
【 千代田区・永田町 】
かつて、この地にあった永田馬場(乗馬の練習をする広場)に由来します。
永田馬場の名前は永田性の※旗本屋敷が並んでいたことに由来します。
(※旗本とは、江戸時代、将軍家直参(じきさん)で知行高(ちぎょうだか
)一万石未満の武士のうち、御目見(おめみえ)以上の者で戦国時代では
軍中で大将の近くを守る本陣の武士の事を指しました。)
江戸時代の絵図を見ると、延宝えんぽうの間(1673~1681年)には「永田町」と
記載があり、永田性の永田善次郎、永田庄八の名前が確認されています。
その後、多くの大名がこの地に屋敷を置きました。国内の反対勢力を粛清した
「安政の大獄」で知られ、江戸末期に「桜田門外の変」で暗殺された井伊直弼も
その大名のひとりです。
( 豆知識 )
・木造の国会議事堂
日本に議会が開設された明治23年(1890年)から現在の議事堂が
完成するまでの46年間、第1回帝国議会から第69回帝国議会までは、
木造の仮議事堂を使用していました。
初代、仮議事堂、二代目仮議事堂は火災で焼失し、三代目仮議事堂は
大正14年(1925年)12月22日竣功。木造洋風2階建て。焼失前の
第2回仮議事堂と同規模の建物を設計し、工事に着手しました。
作業は不眠不休の努力で進められ、わずか80日余りで完成し、
現在の議事堂が完成するまで使用されました。